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■概要
2014年正月にいまさら確信した、こんな業界と職種がめちゃくちゃヤバイ
1.間違いなく着物業界はヤバイ。着付け教室もヤバイ。礼服屋もめちゃヤバイ
2.冠婚葬祭業界も格安除いてヤバイ
3.お中元、お歳暮も無くなってきているのでデパートはヤバイ
4.年賀状も無くなってきているので日本郵政もヤバイ
5.神社仏閣もヤバイ
6.冠婚葬祭のライターさんも先生もヤバイ
※どうやって生き残るか?
顧客視点を考えて「いかにお客さんが楽しめるイベントに変化させられるか」を考えたほうがいいと思う次第です。
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便利なfacebookを使う程に、当ブログが疎かになりまして、
特に、広告収入やアフィリなどを求めていない当ブログも、
新たな方向性を持たないといけないな、と感ずる3が日でございます。
さて、1月3日、久しぶりにブログを書いてみようかと、きっかけを頂いたのが
上記、永江氏ブログです。
スポーツと全く関係ありませんが、そこに通ずるなと思い、引用させて頂きます。
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@まず、話題への直接的な見解・・・
全く同感であり、特に、2と5は10年以上前からヤバイと感じています。
それはビジネス視点以上に、人の生き方とか進化とか、宗教も絡まった視点で、
危険と感じます。
デジタルな時代が進む程に、無宗教者や中長期思考者が減るように感じた。
これは統計データでは無いので、個人の「感じた」程度だったが、
宗教観に関して言えば、家族が分散して生きるのが普通となった現代、
親戚関係は薄れ、いざとなれば仏に祈る者も無宗教を語る者が増え、
人対人の面倒な関係を避ける人も多くなって当然の時代・・・
日本国では、宗教も文化も風習も、今後更に衰退するのかな、と
懸念せざるを得ない気持ちを持ったのが2000年前後であった。
それが悪いとは言えない、メリットもデメリットもあるはず。
自分自身の周辺からは、
父が亡くなった際に、仏壇と御墓を新設した時に、非常に疑問を感じた。
この2つは、古くから家庭に関与し、先祖を敬う場と時である。
しかしながら、非常に単純な疑問として、坊主に尋ねた。
魂は1つのはず、では、魂はこの2つの場を何故行き来するのか?
場所という概念が無いなら、何故、2ヵ所が必要なのか?と。
厳密な話をすれば、御骨を仏壇に納められないから当然の事なのだが、
過去からの信仰を、
超・天邪鬼な自分にも納得させてほしい、という意味も込めて聞き入った・・・
(仏教上の答えなら、仏教を勉強すれば簡単に判る。では、仏教を学んでいない者に、
どう納得させるのか?マーケティング視点からも、この質問に意味を込めた。)
その返答は、全く納得できるものでは無かった・・・・
ああ、これじゃ若者は宗教から離れるな、祭事・風習・思想も変化を止められないなと。
別に、古くからの慣わしを否定しているのではなく、
(自分だって無宗教を語りながらも、当然、先祖は敬うし。
先祖無くして自分は無いし。そこに歴史が存在するし。)
そこへの思考・手法が大きく変わるな、と受け止めざるを得なかった。
この考えの派生に、着物・仏具・墓・冠婚葬祭、
更には、2極分化の時代に相まって、中元・歳暮・年賀状なども衰退するなと。
永江氏のブログに同感です。
このような流れが確実にある中で、
無論、残すべき日本の伝統や風習や文化、そして宗教観があるのは判っている。
それを残すのかが問題であり、思考や手法の問題となる。
歳暮・中元・年賀状など、無くなっても良いものは無くなればいい。
残すべきものをどう残すか、これが重要だ。
先祖を敬う場は減ってもいいけど、敬う気は無くなってはならない。
それは、宗教とか文化とかの小さな問題ではなく、人間上の問題だ。
親が居なきゃ自分は居ない、親の親が居なきゃ自分は居ない・・・・
先祖を敬う、自国の宗教観、自分の宗教観、、、、全ては一体だ。
部分的に熱狂的に深度を深め、一方はどうでもいい感を持っている人も多い。
そういう思考が普通になる時代だからこそ、この変化に合わせる必要があるのだろう。
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Aそして、話題の間接的な活用・・・
上記、永江氏のブログから、マイナー競技アマチュアアスリートは、
アスリートの競技環境に非常に大切な事を読み取ってもらえましたでしょうか?
それは、最後の1文です。
「いかにお客さんが楽しめるイベントに変化させられるか」を考える事、というところ。
冠婚葬祭業界などに向けた、ビジネス視点でのヒントであり、
それ以外の全てのビジネスにも通ずる言葉なのであるが、
更には、アスリートにも大きなヒントになる言葉と言える。
これはアスリートにとって、2つの意味がある。
1つは、マイナー競技を普及させる為にはどうしたら良いか、という疑問に通ずる。
もう1つは、スポンサーを得るにはどうしたら良いか、という疑問にも通じている。
自競技を何としても普及させたい、と発言するアマ選手は非常に多い。
気持ちは判る。
しかし、そうした選手が、その競技の模範にもなれないような人格者なら、
応援する気にもなれないし、まだまだ普及すべきで無い、と考えざるを得ない機会に
遭遇する事も少なくない現実。
自競技のTOPレベルを自認する選手程に、その競技を背負う必要がある。
その背負い方が、甘いと言う以外に無い、と思う場面がぶっちゃけ多い。
そんな選手に言いたいのが、前述の言葉。
自分視点ではなく、観る人視点になれば、変革点はいくらでも発見できるはずと。
選手だけでなく、競技団体・連盟も同様。
金は天から降ってくるものではなく、
中継はテレビ局が決めるものではなく、コネが全てでは無い。
権力を含めた、トップダウン思考だけで変化は望めない時代になった。
ワンマン企業ならいいが、社団・財団なら、
事業収入を求めないと続かないものの、
そこには公益性や社会性が無くてはならないし、
単なる事業収入追求だけなら、鰍ノなればいい。
社会性とは、公益とは何かを考えるべき。
ここでも前述文章と同じ事が言える。
自分達視点で無く、選手視点やファン視点になればいい。
そこに変革のチャンスが落ちている。
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@A共、批判・評論して終わり、にするつもりはない。
自分で何も産めない癖に、評論だけするアホにはなりたくないし(笑)
@=これは非常に重要な話だ。
その重要性を認知しているつもりなので、形を変えてでも、
過去の重要性を未来に繋ぐ手法をライフワークにする覚悟を
10年以上前から決めており、
「人がやらないのだから、自分がやる」という信条を形にしたい。
残り人生10年程度か?
あと3〜5年でスポーツを卒業して、残り人生をそれに投入したい。
故に、この問題の解決の、One of themに過ぎないかもしれないが、
将来、世に生み出す計画がある。
よって、自分は、この件に関して、評論家では無い(笑)
A=本来なら、国の予算でスクールを作るべき。
しかし、国もスポーツ機関も、この重要性に気付いていない。
だから、民間でやるしかない。
資本主義社会上で、社会貢献活動色の高い事に、
鰍ニして全財産を投入できないので、
これは小さくとも、少しずつ変革させる、という視点では既にスタートしている。
アスリートには、
競技自体の自分視点以外は、他人視点でものを見る癖を付けてもらいたい、
と考えて、その根拠を伝えているつもり。
理由が判ると、それに注力してくれる選手へと変化し、
メンタル面も資金調達面も、谷底に落としてでも、
結果的にTOP of TOPに達せさせる確率を向上させる。
団体には、
口で言っても判らないので、どこかで事例を作りたいと考えています。