以下に参考になる記事があったのでピックアップしてみます。
読み方は人それぞれ。
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■ソース(2014年02月04日アメーバニュース)
http://news.ameba.jp/20140204-115/
■概略
浅田真央、破産危機乗り越えた実家と、姿を消した父
ソチ五輪で金メダル有力候補のフィギュアスケート女子の浅田真央(23)。
国民的フィギュアスケーターを支えてきたのは、ほかならぬ家族の力だ。
破綻寸前にいたるまで追いこまれた浅田家。
今だからこそ言える自ら姿を消した父親の存在。それらを通して、
勝負の世界に生きる家族の在り方をもう一度考えてみたい。
◇有名ホストクラブ経営、繁盛店に
浅田家は、真央選手と姉の舞選手(25)という、世界的トップスケーターを
2人も輩出した「名家」。フィギュアスケート王国・名古屋で生まれ、
亡くなった母親の匡子さんの勧めもあって、フィギュアを始めるようになった。
門奈裕子氏の「名東フィギュアスケーティングクラブ」、
山田満知子氏の「グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブ」などで学び、
ジュニア時代に頭角を現した。そして、本格的にお金が掛るのはここから。
フィギュアスケート選手を育てるには、一人当たり年間1000万円以上。
二人分ということは、ずっと年間2000万円以上の支払いを長年行ってきた。
◇わが娘を「浅田真央」に育てる費用は?
父親は地元ではちょっとした有名人だが、マスコミに出ることはない。
報道を自重していることもあるが、名古屋のマスコミ関係者は「人気ホストから、
有名ホストクラブのオーナーに成り上がって、で年商1億円以上と言われるほど
繁盛していたそうです。ただ、娘のために世間体を気にして店をたたんだことは
誰もが知る話です」という。
外見は、身長1メートル80はあろうかとしたスラっとした体形に、年齢よりも若く
見える風貌。父の年収は1000万円以上はあっただろうし、名古屋市名東区に
居住用の不動産も購入。普通ならば十分な暮らしができただろうが、
娘のことを考えて名古屋でも有名な繁盛店を閉める決断をした。
毎年2000万円近くの費用がかかるにも関わらず、収入の道を断つ上に、
しかも、まだ40代で成功者としてのキャリアを捨てることは痛恨の極みではなかったか。
それでも、勝負の世界で生きる娘のためには、すべてをささげる覚悟がなければ
父親は務まらないという教訓でもある。
◇父親とは家に金を運ぶ存在に
フィギュア関係者は「フィギュアを始めるきっかけは母親が作る家庭がほとんどです。
父親がスケート場についていくのも最初のうちだけで、そのうち、母親と子供だけに
なっていく。世界を目指すには、小学生でも1日3時間以上の練習が必要。
一日中母親は付きっきりということ珍しくありません。
父親は段々、お金を家に運ぶだけの存在になっていきます」という。
父親は家長であるが、主役になってはいけない。お金を家に運ぶ役割を黙ってこなす
ことができる覚悟があるかどうかが、教育ママと子供を支える力になる。
フィギュアに限らず習い事で、実際に、家庭内に不和が起きる例は珍しくはない。
浅田家の場合はさらに特殊な事情が重なった。
実質的に収入を断たれた浅田家の家計は厳しかったのは言うまでもないが、
「以前に一部の週刊誌でも出たように、借金も抱えて自己破産寸前だったことを、
知っている関係者もいます」と、前出フィギュア関係者もいう。
真央選手は2005〜06年シーズンで、15歳となりGPファイナル制覇。
荒川静香選手が金メダルを獲得したトリノ五輪には、年齢制限で出場こそできなかったが、
一躍、世界のトップスケーターに。スポンサーも集まり、ようやく経済的に軌道に乗った。
キャッシュフローが途絶えれば即終了、そんなギリギリの戦いだったのだ。
ここで結果が出なければ、浅田家の挑戦は失敗に終わっていただろう。
フィギュアスケートでは世界一の選手層の厚さを誇る日本だが、選手たちの家族の内実は厳しい。
すべてを投げ打って挑んだ浅田家のフィギュア挑戦。
そこまでしなければ手に入れられない金メダルという大きな壁、ソチの地で「浅田真央」の名が
金メダリストとしてとどろくことを、すべての日本人が願っている。
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■ソース(2012年08月29日・日刊サイゾー)
http://news.livedoor.com/article/detail/6899075/
■概略
自伝にステージパパの「解説と補足」が! 石川遼を悩ませる、父・勝美氏の“毒親”ぶり
先日、アメリカツアーを終えて帰国したプロゴルファーの石川遼。
“特別招待枠”で出場したマスターズや、ギリギリで出場枠に滑り込んだ
全米オープンといったビッグタイトルは予選落ち。久々の国内復帰となったVanaH杯
KBCオーガスタゴルフトーナメントでも74位タイでまたしても予選敗退と、不調が続いている。
昨年からは、ずっとコーチを務めてきた父・勝美氏以外に、
初めてプロコーチの佐々木孝則氏がツアーに帯同。
4月に発表した、交際中の中学時代の同級生との婚約もあり、「親離れがきっかけになって、
スランプから抜け出せるのでは」という見方もあった。
しかし、最近では「実は、まだ親離れができていない」という声が上がっているのだ。
現に、7月末に発売された『石川遼自伝 僕の歩いてきた道』(講談社)には、
その“父子密着”ぶりが表れている。
この本では、遼自身が少年時代から現在にいたるまでを振り返っているのだが、
日曜の夕方は家族そろって『笑点』を鑑賞し、謎かけを行って“発言力”を磨いたり、
高校1年のときにプロ転向を父に宣言すると、「スポンサー企業の年輩の方々をおまえが
ご接待できるのか? 遼は日経平均って分かるか?説明できないだろ(後略)」と言われ、
その後一週間かけて日経平均を勉強するなど、中には凡人には真似できない
石川家のオリジナリティあふれる教育法も。
しかし、遼は「将来、何を目指すにしても一流にならなければ意味がない」と教育を施してきた
父に対する感謝を綿々と綴る。さらに感謝を超えて、まるで“フォロー”するような言葉も目立つ。
以前、「遼で飯食ってんだから、余計なことを書いたらどうなるかわかってるんだろうな」という
マスコミに対する勝美氏の発言が報道されたことがあったが、遼が書く勝美氏は、
そういったマスコミで語られる“息子を支配しようとする父親像”を否定するような内容。
しかしこの本がすごいのは、そういった遼のフォローも空しく、すべてを父が覆してしまう点。
マスターズ優勝という大きな夢を掲げ、美しく自伝は締められるのだが、
なぜか最後の最後に、「解説と補足」という勝美氏による謎の章が設けられているのだ。
その内容は、“いかにプロゴルファーに必要な人間力をしつけてきたか”というもの。
しかも、遼自身が父への感謝も織り交ぜながら自伝内で取り上げているエピソードが完全に
重複しており、自分のおかげ感をアピールしているようにしか読めない“毒親”感に溢れている。
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■ソース(2013年10月28日アサ芸)
http://www.asagei.com/16683
■概略
福原愛「“不肖の父”急逝でわかった“絶縁”までの親子修羅」
「2008年の終わり頃を最後に、一度も会っていない状態にありました」
──10月16日、卓球の「愛ちゃん」こと福原愛(24)がマネジメント事務所を通じて出した
父・武彦氏逝去に関するFAXの中身は驚愕すべきものだった。
武彦氏の死去が公表されたのは、来春の世界卓球選手権団体戦の記者会見後。
「福原にしてみれば父親との関係について、よっぽど触れられたくなかったのでしょう。
10代前半の多感な時期から常に父親との関係に悩まされてきただけに、
関係者にとっても親子関係についてはある種のタブーでした」
そもそも福原父子の冷えきった関係が露呈したのは04年。
この年5月、福原は弱冠15歳にして、アテネ五輪の出場を決めたが、
時をほぼ同じくして福原家に“異変”が起きていたのだ。
わずか4歳の時に「泣き虫愛ちゃん」として福原が注目されてきた時から夫唱婦随で
娘を支えてきたはずの両親が離婚していたことが発覚。
「武彦さんは90年から建設会社を営んでいました。代表は妻が務めていましたが、
経営はうまくいかなかったようです。事業に絡んだ連帯保証によって1億4000万円もの
負債を抱えてしまったそうで、結局、家族の知らないうちに金額が膨れ上がってしまった。
負債の原因は武彦さんが会社の金を使い込んだからとの話もありました」
「福原の競技生活を支えたのが武彦さんでした。練習環境を整えるために
仙台、大阪、青森などに拠点を移し、専用卓球場も所有。
卓球王国である中国出身のコーチも招くなど、自営業とはいえ資金の捻出が容易でない
ことは想像がついた。借金報道があった時は『そういうことだったのか』と思いましたね」
その後、福原は明石家さんまとの勝負に負けて泣いてしまうけなげな姿などが茶の間の
人気を集め、一躍国民的アイドルに成長。CM出演料は卓球選手としては破格の1本3000万円。
「バラエティ番組に出すぎの感もありましたが、父親の借金という理由があったのでしょう」
しかし、福原がいくら稼いでも会社の経営は好転せず、結局は倒産の憂き目に。
その頃から債権者による督促も相次ぐようになった。
「債権が第三者に譲渡されるようなことになれば、福原の稼いだ金が差し押さえられるような
事態も考えられました。離婚も家族に迷惑がかからぬようにするための偽装だったと
聞いています。離婚によって武彦さんは個人として負債を背負った。そのうえで自己破産
することによって借金を帳消しにし、家族を守った。
そうするしか選択の余地がなかったのでしょう」(前出・記者)
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■ソース(2008年1月22日・朝日新聞)
http://www.asahi.com/edu/student/tensai/TKY200801210273.html?ref=recc
■概略
レスリング選手、吉田沙保里のお母さん・幸代さん:3 各地で大会出場、家族旅行代わり
午後7時。三重県一志町(現・津市)の吉田家に10人の子どもが集まった。
「明日の沙保里」をめざす中学2年から3歳の男女で、4人は世代別の全国大会優勝経験者。
夫・栄勝が1985年、沙保里の兄2人と始めた「一志ジュニア教室」。
入門者が増えたため、89年に敷地内に道場を建てた。天井が低く、屋根と壁のすき間から
外気が直接入る鉄骨組み。夏は暑く冬寒い。沙保里も高校卒業までここで練習した。
2年前に建て直し、高い天井に大きな扇風機が回るきれいな建物に変わった。
*
一志ジュニア教室には月謝がない。幸代は専業主婦で、栄勝は三重県の職員。
練習場の建築費300万円は借金で賄った。沙保里と次男が国際大会に出るようになると、
公的補助がある次男でも遠征の負担は1回30万円ほど。これでさえ苦しいのに、
五輪競技ではない女子には補助がなく、負担は1回50万円を超した。
生活は厳しかった。家族5人の食費は1日500円。
幸代は余計なものは買わないように100円玉5枚だけを握りしめてスーパーに通った。
「北は青森から南は鹿児島まで夫が車を運転し、多い年は年間17大会に出場しました。
家族旅行代わりでしたね」
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■ソース(2012年6月19日・NHK「キラキラ子育て」・・・スポーツ子育て)
http://www.nhk.or.jp/yokohama/kirakira/2012_06/01.html
■概略
元女子プロテニス選手・杉山愛さんの母で、コーチも務めた杉山芙沙子さん
・正直私はアスリートを育てようと思ったことは一度も無く、期待に沿う答えかわかりませんが、
彼女が引退する最後の9年間をコーチとして一緒に仕事したんですけれども、
その中でやっぱり一番大事にしていたのは母として子どもとの距離感、
コーチとして選手との距離感、それをすごく大事にしてきたことは間違いないですね。
・彼女が常に選択し、その間でアドバイスを求められたら母としてアドバイスしたこともありますし、
コーチとしてアドバイスもしてきました。ベースは彼女がいろんなことを選んでいったことに
私が後ろからついていくみたいな形でしたね。
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