http://sankei.jp.msn.com/sports/other/101027/oth1010270748000-n1.htm
■概略
このごろ、スポーツ選手の身の処し方を考えることが多い。
かつて、名選手たちは自ら「体力の限界」を感じた時、引退を選んだ。
長嶋茂雄、千代の富士・・・。潔さこそ一流と呼ばれるプロスポーツ選手の美学だった。
彼らには、ぶざまな姿を観衆の前でさらすのはもうしわけないという
プロ意識やアスリートとしてのプライドがあったように思う。
しかし、最近は一変してしまった。たとえば、工藤公康(47)。
西武から戦力外通告を受けたが現役続行を表明。韓国や台湾に渡る事になっても。
サッカー中山雅史(43)が磐田から戦力外通告されて2部の札幌に移った。
功なり名遂げた名選手達なのに、彼らはなぜボロボロになるまでプレーし続けるのか。
ひとつの理由に、受け皿の広がりがある。
レベルを下げても、海外や下部組織といった続行の「場」が提供される時代になった。
トレーニング技術の進化が、選手寿命を延ばしている、という点も見逃せまい。
われわれマスコミも、遠因かもしれない。
だが、あえてつらい道を選ぶ理由は、きっとほかにあるはずだ。
「ウチからボクシングを取ったら、何も残らん」
かつて、プロボクシング世界王者の辰吉丈一郎(40)から発せられたこの言葉。
「うらやましいなあ。打ち込めるものがあって」
競技に「自分を懸ける」という純粋な気持ちが人の心を動かす。
それもまた、プロのひとつのあり方だということを教えてくれたボクサーは、
もう一度リングに立つ日を、いまも夢見ている。
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アスリートそれぞれの考え方でしょうが、
確かに昔と違って社会の受け入れ環境が変わってきた点はあるのかも。